<金口木舌>埋み火のように

 情にほだされた泥棒が盗み先に金を置いていくのは古典落語の「置泥(おきどろ)」。立ち去る物取りに、うまく銭を得た男の一言は「晦日(みそか)にまた来てくれ」。災厄転じて幸運にありつき、なお金をくれとは調子がいい

▼晦日は毎月の最後の日で、年の最後の晦日がきょう。江戸の町人はこの日までに借金を返し、すっきりして新年を迎えたいと返済に追われたという。まさに師も走る忙しさである
▼さまざまな行事で新しい神を迎える大事な一晩ともされてきた。吉田兼好は徒然草で、この晩に夜半まで人々が慌て騒ぐさまを「足を空に惑う」と書いた。地に足も着かない様子が見て取れるようだ
▼夜も深まれば聞こえてくるのは鐘の音。大晦日の夜は「旧年を除く夜」であることから除夜といわれるそうだ。邪気や煩悩を払ってくれる響きだが、県外では騒音だという今どきの苦情もある
▼この1年。収穫があり、新たな知己を得た人があろう。別れのあった人もいよう。かけがえのないものを失ったかもしれない。除夜といっても、悲喜こもごもは簡単には消し去ることのできない年の瀬である
▼「うづみ火にすこし春あるここちして夜ふかき冬をなぐさむるかな」は藤原俊成の作。炭火で寒さに耐える様子だが、大成や再起を期す心持ちにも映る。今年の経験、教訓を埋(うず)み火のように温め、来年を災いも転じる年にしたいものである。


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