<金口木舌>厚底靴の席巻


社会
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 戦中、戦後にかけて街中を木炭車が走った。厳しい燃料事情のためだ。車載の装置で炭を燃やし、発生したガスで車を走らせた。沖縄でも木炭バスが走った

▼エッセイストのゆたかはじめさんは東京での学生時代、木炭車で運転を習ったそうだ。免許試験も木炭車で受けたという。「かまへの火の付け方から教わった。運転以前にセルモーターを回すのに往生した」と愉快そうに振り返る
▼聞いて笑みを浮かべてしまうが、それも技術の革新があってこそ。この足元に100年前の学生はさぞ驚くだろう。車ではなく人の走りのこと。中国の都を守る関所よりも険しいと歌われた山路を走る箱根駅伝は開催100年を迎えた
▼第1回は大正時代の1920年。学生は足袋で走った。今年は多くがカーボン繊維入りの厚底靴を使用した。10区間で七つの区間新が生まれ、総合優勝校が大会記録を7分近くも更新した要因に挙がる
▼そうなると、はやりの靴を履いていない選手に目が向かう。10区を務め、区間新で1位だった創価大の嶋津雄大選手がそうだ。目の難病「網膜色素変性症」を患うが「勇気を与えたい」と会心の走りだった
▼かつて高速水着が禁止となる事態があった。開発にもドラマがあろうが、やはり感動を生むのは一つ一つのプレーだろう。来年は県勢の選手たちが東京―箱根を思い切り駆け抜ける姿が見たい。