<金口木舌>掘ってみなければ分からない


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 ロケット弾や約1万発の銃弾が掘り出された土地が15年後、さまざまな店舗やオフィスビル、アパートが立ち並ぶ街に変わった。北谷町のキャンプ桑江北側返還跡地だ。2003年の返還から17年。跡地利用が実を結びつつある

▼同跡地は返還後に特定有害物質が見つかり、地主への引き渡しが遅れた。銃弾が掘り出されたのもその頃だ。返還前に立ち入り調査ができなかったため、土地利用に影響する汚染や異物の発見が相次いだ。当時の辺土名朝一町長は「北谷から出ないものはないんじゃないか」と言った
▼今年3月末、キャンプ瑞慶覧の一部が返還される。北谷町が国史跡指定を目指す北谷城を含む地域だ。石垣などを復元整備し、城跡公園として公開も予定する。町は米軍、国と協定を結び、返還前の立ち入り調査を実現させた
▼日米で15年に環境補足協定が締結され、それまで認められていた調査が2年以上ストップしたこともあった。その後の調査は目視だけで掘削が認められず、今後の整備に課題を残す
▼環境補足協定は立ち入りを「返還日の7カ月前から」に制限しているため調査の足かせになっている。普天間飛行場内の調査も許可に3年を要した
▼基地の跡地利用計画には夢がある。しかし絵に描いた餅に終わらせないためには「掘ってみなければ分からない」という状況を変えなければならない。