<金口木舌>あの日、琉王は勝った


社会
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 本紙運動面で連載中の「大関列伝」には力士のさまざまな異名が出てくる。「怒り金時」に「ペコちゃん」がいれば、怪物や博士に黒ひょう。言い得て妙のあだ名はファンを引き付けた

▼ひいき筋には出身地も欠かせない要素だ。土俵入りで必ず読み上げられる。地元でなくとも近県や縁のある土地の力士を応援したくなる。「江戸の大関より郷土の三段目」というのがよく分かる
▼この取組への館内の声援は地元びいきではなく、率直なお祝いだったのだろう。1972年5月の大相撲夏場所のこと。国技館はまだ蔵前である。黒星発進だった県出身の琉王が2日目に錦洋を押し出しで破った
▼館内はわき上がったという。この日は5月15日。沖縄の記念すべき日に琉王の初白星。中継で聞いた県民も勇気づけられたはずだ。この場所、琉王は金星を逃しはしたが横綱北の富士も苦しめた
▼本来であれば今ごろは呼び出しの声が響いていた。美ノ海、木崎海の兄弟関取だけでなく、中部農林高出身の千代ノ皇も再十両での取組が楽しみだった。中止はすこぶる残念だ
▼相撲好きの俳人、久保田万太郎に「夏場所やもとよりわざのすくひなげ」がある。すくい投げのような豪快な技が見られる日まで耐えるしかないが、何ともわびしい。つけてあったテレビの拍子木の音に夕刻を知る。取るに足らない日常の細事がいとおしく感じる。