<金口木舌>そこにある意味


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 形に見覚えがあった。県立博物館・美術館で開催中の展示会「大城精徳の仕事」で見た絵だ。題名は「枯れ木のある風景」(1987年)

▼沖縄戦で焼け野原になった首里城跡で1本だけ焼け残ったアカギだ。たまたま前日、60年に撮影された同じ木の写真を見ていたのである。大城さんは、戦火で焼け、枯れながらも立ち続けた姿を残したかったのだろう
▼今その姿は確認できない。台風で折れた後アコウが寄生し幹を隠した。那覇市の宮里整さん(87)は琉球大在籍中に見た、このアカギが忘れられないという
▼現状を見てほしいと連絡を受け、宮里さんと現場に足を運んだ。「戦争の悲惨さを語り継ぐためにも当時のアカギの写真を掲げられないか」と話していた。2004年の米軍ヘリ沖国大墜落事故で黒焦げになり、モニュメントとして残されたのもアカギだ
▼形がなければ石碑でもいい。大きな被害のあった戦争や事故の爪痕は残し続けたい。「二度と」の教訓を伝える意味でも重要だ。ただ残すだけではなく、歴史や背景、意味を継承しなければならない
▼イベント企画の六曜社(東京)が「反戦・平和」をテーマに文芸作品を公募した。短歌の部で最優秀賞の桐生莉緒さん(18)=東京都=はこう詠んだ。「戦死者は数ではなくて人だった 碑の名をなぞる指がふるえる」。「平和の礎」がある意味はまさにそこにある。