<金口木舌>待ち続ける人々


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 那覇市泉崎の居酒屋つくもの軒下に、キーホルダーケースに入った赤ちゃんの写真が置かれていた。2週間後、店先を歩いてもそのままだった。店員に聞くと、落とした人に返したいと1カ月前から置いていた

▼記事で紹介すると那覇市の写真館「沖縄創寫舘(そうしゃかん)」の職員が読み、撮影した写真だと気付いた。持ち主である赤ちゃんの父親に連絡し、返すことができた。知らせを聞いた居酒屋店員も喜んだ
▼出所不明の写真に関する情報提供の呼び掛けは時折ある。沖縄戦の従軍米兵が戦場から写真を持ち帰り、のちに入手した人が本来の持ち主に返したいと記事を通じて呼び掛けるが、名乗り出ない事例も増えた
▼戦没者の遺骨収集に取り組む「沖縄蟻の会」は糸満市与座の第24師団司令部の壕で、万年筆やはんこを見つけた。記事の掲載後、いずれも所有者や遺族につながった
▼賀数栄子と彫られた万年筆の持ち主は、県立第二高等女学校に通っていた平良栄子さん(89)=旧姓・賀数。出身地の与座に今も暮らす。合格祝いで父親が贈った。父親は1944年11月に亡くなり、万年筆は形見のような存在だったが、沖縄戦の混乱でなくした
▼栄子さんは「不思議な気分だ。こんなにうれしいことはない」と握りしめた。政府による身元不明の戦没者遺骨へのDNA鑑定は道半ば。帰らぬ遺骨、遺品を今も待ち続ける人々がいる。