<金口木舌>多様性の縮図


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 「嘉間良は純農村で砂糖を生産し、何と言っても水は豊富だった」。沖縄市嘉間良が戦前、越来嘉間良原と呼ばれていた頃の話だ。1993年に嘉間良公民館が建設された頃、地元の人々が開いた座談会の記録にある

▼戦後、嘉間良は「コザの発祥地」と言われた。米軍キャンプに隣接して収容地区が造られ、越来村役場や警察署、劇場ができた。字嘉間良はコザ区となり人口は5千人を超えた。越来村はコザ市になり、74年の合併で沖縄市ができた
▼市の中心は胡屋十字路周辺、米軍嘉手納基地の第2ゲート前に移った。美里や泡瀬の開発も進んだ。コザ区は古謝区と混同されることもあり、89年に名称を嘉間良区に戻した。現在は1400人余が暮らす。住宅の上空でF15戦闘機が爆音を響かせる
▼さまざまな背景を持つ人々が暮らす。大正時代から移民を送り出し、現在は南米から戻った県系人がいる
▼かつて黒人街と白人街に挟まれ、軍人らがけんかを始めても「ウチナーンチュが間に立てば収まる」と言われた。多様性に満ちた沖縄の縮図だ
▼米副大統領就任が予定されるカマラ・ハリス上院議員と同じ名前として注目される。米国で沖縄が広く知られているとは思えない。これを機に、大統領選で争点になった多様性が沖縄にあること、日米安保体制のしわ寄せを引き受けてきたことが広く伝わることを願う。