<金口木舌>命を紡んだ音色


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 「悲しいとき、父は三線を奏でていたのではないか」。ブラジルに住む県系2世の男性が部屋に飾られていた三線に目をやりながら言った。普段から小言を言わず、涙も見せなかった父。だが月明かりに照らされた広くて厚い背中越しから届く三線の音色は、彼には泣いているように聞こえた

▼2006年、世界のウチナーンチュ取材のためブラジル、アルゼンチン、ボリビアの南米3カ国を訪ねた。訪れた家々には故郷から共に海を渡った1世たちの三線が飾られていた
▼別の移民1世の男性は「生きるのに精いっぱいだったが、祝い事も悲しいときもよく集まって三線と共に歌った」と話す。異国での過酷な生活の中にいつもそばにあったのが三線だった
▼世界のウチナーンチュたちの「生きる力」となり、命を紡いできた。その音色はいまも1世たちの子孫の手を通して世界中で響いている
▼中国の「三弦」という楽器が琉球に伝わって「三線」となったといわれる。琉球古典音楽は三線を中心に箏や胡弓、笛、太鼓が加わり、冊封使を歓待する芸能や「江戸上り」での演奏、琉球舞踊の伴奏と結び付いて発展してきた
▼いまでは、結婚式など祝い事の定番カチャーシーやエイサーに欠かせない「県民の音」として根付く。きょうは「さんしんの日」。世界に誇れる沖縄文化の尊さを改めてかみしめる日としたい。