<金口木舌>陶工の街の登り窯に再び火を


社会
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 「窯焼きの日は、厨子甕(ジーシガーミ)をかついでね、陶工たちが続々と集まった」。壺屋在住の陶工の島袋常栄さん(77)と先日、那覇市壺屋にある国指定重要文化財の「新垣家住宅」を歩いた。長い修復期間を終え先月5日から一部エリアが公開されている

▼新垣家住宅は、琉球王国時代の陶工壺屋統合の頃に造られた東(あがり)ヌ窯のほか、母屋や作業場を備える。窯は1974年頃まで使われ、近隣の陶工が輪番で器などを焼いた
▼作業場跡に地面に穴を掘った場所があり蹴轆轤(けろくろ)が残されている。職人は穴のふちに腰掛け脚で蹴って轆轤を回した。乾燥した泥が轆轤にこびりつき、腰掛けはすれている。往時の職人の息遣いが伝わってくるようだ
▼窯に火を入れる時は“壺屋の三人男”と呼ばれた金城次郎さん、小橋川永昌さん、新垣栄三郎さんが窯の傍らでみんなの分の薪(まき)を仕分けした。「自分の窯出しを終えたら、大声で次の人を呼んだ」と島袋さん。互助の精神で地場産業を守ってきた
▼日本復帰後間もなく壺屋は試練に直面する。住民らが黒煙を訴え、登り窯は使われなくなった。国の文化財指定は2002年。09年に老朽化や大雨で窯が全壊。修復事業が始まったが公開までに長期間を費やした
▼通りに軒をつらねる陶器店。ガジュマルの大木…。陶工の街には独特の風情が漂う。「東ヌ窯」の公開は街の味わいをいっそう引き立てるだろう。