<金口木舌>「難行苦行」宜野湾市道11号


社会
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 先日、全面開通となった市道宜野湾11号を車で走った。普天間飛行場に沿って延びる全長3・5キロで、金網を隔てた向こうは米軍基地。とは言っても、オスプレイが発着する見慣れた基地の姿ではない

▼市街地の真ん中にある危険な飛行場も、市道から見れば緑豊かな広場のよう。米軍機騒音さえなければのどかな通りだ。基地になる前、この地にあった住民の営みを想像する
▼市道の事業化から完成まで42年の歳月が流れた。道路建設に必要な土地の返還などに時間を要した。基地を抱える自治体はどこも交通渋滞に悩み、道路整備に苦労する。宜野湾市はその典型
▼市民の生活道路だったパイプライン通りの舗装が実現したのは1970年代後半。米軍施設のため工事に手間取った。77年11月の市広報は書いている。「なかなかスムーズに運ばず、難行苦行の連続です」
▼渋滞解消のため、下水道を兼ねたトンネルを普天間飛行場の地下に築く構想もあった。77年から2期続いた安次富盛信さんの市政で可能性を探った。実現していれば、この街は別の姿になったかもしれない
▼地下トンネルを「壮大に過ぎる」と言うなかれ。大浦湾の軟弱地盤に7万本のくいを打ち込む計画がよほど壮大で荒唐無稽ではないか。基地に土地を奪われた街の苦行が伝わる宜野湾市道11号。今度はゆっくり歩き、街の歩みをたどりたい。