<金口木舌>廃校に集う子どもたち


社会
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 1887年2月8日、郵便マークの「〒」の使用を決定した。それにちなんできょうは「郵便マークの日」

▼郵便マークができる13年前、大宜味村塩屋に塩屋郵便局が設置された。当時、「陸の孤島」と言われた塩屋で公文書の発着などに重用されていたが、1945年の戦禍とともに廃局
▼沖縄戦は塩屋の子どもたちの生活も一変させた。塩屋国民学校の男性教員は防衛招集され根こそぎ戦場に。塩屋小学校創立百周年記念誌によると、高等科の卒業式が予定されていた3月23日は猛烈な空襲があり、東側の校舎が爆破された
▼無期限延期になっていた卒業式が催されたのは44年後。創立85周年記念式典に先立ち開催された卒業式に参加した昭和5年生らは、「ほたるの光」を涙を流しながら歌ったという
▼少子化によって2016年度末に廃校になったが「希望」と刻まれた石碑が残る。現在はやんばるアートフェスティバルや琉球交響楽団のコンサートなどに活用される同校。芸術に触れ、目を輝かせる子どもたちは塩屋の未来の希望だ。