<金口木舌>沖縄戦とウクライナ


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 爆撃で窓や壁がぼろぼろに崩れたコンクリートの建物。ウクライナ南部のマリウポリでロシア軍が攻勢を強めている

▼瀬名波栄喜さん(93)は「沖縄戦そのものだ」と話す。がれきとなった那覇の町で戦後見た光景を重ねる
▼通っていた県立農林学校のあった嘉手納町で1944年の10・10空襲後、那覇からの避難民の長い列を目にした。ウクライナの避難民が隣国などに逃れる様子が伝えられる中、その光景を思い起こす
▼やんばるの山中では砲弾や機関銃で人が殺されていくのを目撃した。爆弾が飛んでくる音や炸裂する音は今も脳裏から離れない。「国体護持」のため大勢の住民が犠牲になった沖縄戦。瀬名波さんは「戦争に善悪はない。悪だけだ」と言い切る
▼第32軍の牛島満司令官は45年6月、「最後迄敢闘し悠久の大義に生くべし」(最後まで戦い続けよ)と命じ自決した。8月15日以降も沖縄では戦争が終わらず住民を巻き込む悲劇が続いた。ウクライナでこれ以上犠牲を増やしてはいけない。戦争を始めた者は終わらせる責務がある。