<金口木舌>時代の問い掛け


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 40年前の7月、具志川市(現うるま市)高江洲の畑に米軍ヘリが不時着した。けがで動けなくなった米兵2人を住民たちが機体から救助した

▼翌日。住民は再び現場に移動すると、抗議集会で事故への怒りの声を上げた。「人道的なことは大切にし、抗議の声は上げる。このヒューマニズムが中部らしかった」と振り返るのは住民の1人、古堅宗光さん(75)
▼少年時代はコザで育った。コザで青果店を営みながら青年会議所やNPOの役員を務め、私財を投じてまちづくりを支援してきた「街の顔」の1人だ
▼1970年には米統治への怒りが爆発し、民衆が米軍関係者の車を次々と焼き払った「コザ騒動」を目撃し、12年前に「コザ暴動を語る会」を立ち上げた古堅さん。5千人規模に達した騒動の参加者が米兵には直接暴力を振るわず、略奪もなかったことの意義を語る
▼古堅さんにはいま、一つの憂いがある。「最近のウチナーンチュは怒らなくなった気がする」。コザ騒動から20日で52年が過ぎた。基地の街を見詰めてきた彼の問い掛けだ。