<金口木舌>橋に息づく地域の営み


社会
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 地元住民から「サーバシ」と呼ばれる塩屋大橋は5日で開通60年を迎えた。琉球政府時代の一大事業で、大宜味村宮城島~塩屋の300メートルあまりを結び「夢の大橋」と称された

▼1999年に架け替えられる前は真っ赤なアーチが印象的で、多くの人が思い出すだろう。赤橋はいま、沖合で漁礁として沈む。面影はないが、たもとのデイゴは毎年、深紅の花を付け、旧橋の記憶を呼び起こしてくれる
▼本部町の瀬底大橋は開通38年。島に橋が架かった2月に「誕生日」を祝う行事を続けている。怪談話に歴史秘話。生活に密接している橋には逸話や物語がつきもの
▼日本復帰後の道路整備に伴い、急速に橋りょうが整備された。沖縄総合事務局によると、そのうち20カ所で通行止めや交通規制がなされている。30年後には県、市町村管理を含め、橋りょうの約8割が、建設から50年以上となる
▼橋と共に暮らす人々の物語が地域に息づいている。その橋の長寿命化や再整備は行政課題といえよう。橋を守り、地域の営みを守ることは住民と行政の共同作業にも思える。