<金口木舌>「居場所」から「地域貢献」へ


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 1970年代、本土に集団就職した沖縄の若者には居場所を失う人も少なくなかった。仕事を転々とした末、失業し、飢えて窃盗などを犯してしまう事件が相次いだ

▼「根底に沖縄差別がある」。そう考えた若者たちは沖縄の誇りと自信を取り戻そうと、エイサーを踊り出した。沖縄らしさを出せば、差別の標的になると恐れた年配者から「恥さらし」と罵声が飛んだ
▼大阪大正区で聞いた話である。東京中野区にも似た歴史がある。70年に金城唯温さん夫妻の自宅に「沖縄郷土の家」が開設され、沖縄の若者が集う場となる。そこでエイサーが始まった。以来、数々のエイサー団体が発足する
▼東京沖縄県人会青年部がアシバ祭を開くなど中野はエイサーのメッカとなった。2005年からは中野チャンプルーフェスタがスタート。記念の初年、沖縄市出身の上原慶さん(37)が東京中野真南風(まはい)エイサーを結成した
▼会の方針は地域貢献だ。地域の祭りで「みこしを担がせてください」から始まった。会員はPTAのボランティア、商店街の防災巡回にも参加し、地域の人々に喜ばれている
▼真南風エイサーは17日の第62回沖縄全島エイサーまつりに、本土のエイサー単独団体としては初めて参加する。本土で育まれたエイサーの歴史も奥深い。居場所から地域貢献へ-。“飛躍の舞”には、苦難をはねのけてきた「誇り」が輝いている。