<金口木舌>弱気に向けるまなざし


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 第1次世界大戦中の1917年、インド洋で日本郵船の貨客船常陸(ひたち)丸がドイツ軍の艦船に襲撃された。ちょうど100年前のきょうのことだ

▼日本から英国に向かっていた乗員乗客の約150人は捕虜としてドイツの収容所に入れられる。強制労働を強いられるが、脱走を図ったり、ドイツ側と交渉して便宜を受けたりして、過酷な生活を乗り越えていく
▼「一本刀土俵入り」「瞼(まぶた)の母」などいわゆる股旅もので知られる作家の長谷川伸は、62年に「印度洋の常陸丸」を出版する。遠く離れた地でたくましく生きた乗員らの様子をつづった
▼長谷川は、歴史に埋もれた日本人の事績を掘り起こすことに情熱を注いだ。特に主題としたのが捕虜のこと。白村江の戦いから日清、日露の頃まで、捕らえた外国の将兵を日本側がいかに篤(あつ)く扱ったかを丹念にまとめた
▼動機には、第2次世界大戦時、日本軍による捕虜への虐待行為を耳にしたことがあるとされる。「われわれの忘れ失いたる、われわれの深き遺憾を厳しく反省するため」(「日本捕虜志」)と記した
▼博徒らを描いた作品にも共通するのは負い目を持つ者、価値観の異なる者への視点だ。かつて日本人が弱きに向けたまなざしを活写した。貧困や格差が広がり、差別をあおる言動はやまない。「対話よりも圧力を」と宰相が強訴する現代日本は、長谷川の目にどう映るか。