<金口木舌>失われた時間


この記事を書いた人 琉球新報社

 フィリピン残留日本人2世の岸本ヤス子さん(80)。父の出身地・名護市にあるハンセン病の国立療養所沖縄愛楽園を訪れ、隔離政策の説明を受けた。自らの体験と重ね「私も差別された経験がある」と語った

▼フィリピンでは多くの住民が日米の戦闘に巻き込まれ命を落とした。戦後も反日感情が強く、岸本さんは、母親に「日本人名は名乗らないで」と言われた。日本人の子であることを隠しながら生きてきた
▼戦争で失った父。ようやくその故郷に足を運ぶことができた。「もうこんなに年を取った。ここまで来られたのは、父親探しのために、元気でいさせてくれたのだと思う」
▼一緒に来沖した同じ残留2世・仲地リカルドさん(83)は、本部町で親族と共に祖父の墓参りを果たした。岸本さんは、ハワイにいることが分かったいとこと電話で話ができたが、県内の親族はまだ見つかっていない
▼国籍取得を支援する日本財団によると、本格調査が始まった1990年代に3500人いた2世は、2015年時点で1200人まで減った。900人が国籍の回復を待ち、300人は父親の身元が分からない
▼岸本さんは「戦争はもういらない」と繰り返す。高齢化が進む2世たち。父親の故郷を訪れることを願いながら、かなわずに亡くなる人もいる。失われた時間はあまりにも長い。