<金口木舌>指導者としてのバスケ人生


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 10月からプロバスケットボールB1新潟アルビレックスBBU-15のヘッドコーチに就任した下地一明さんは、波乱に満ちた経歴を持つ。中央大3年時の20年前に、突如病魔に襲われた。試合中に胸が痛くなり、病院に搬送された

▼診断はマルファン症候群による解離性大動脈瘤。関節や血管などの結合組織が弱くなる先天性の疾患で、突然死を起こすこともある。「死ぬぞ」という医者の言葉は20歳の胸に突き刺さったことだろう
▼東風平中時代に県選抜として全国を制し、北谷高時代も全日本ジュニアに選ばれるなど将来を嘱望された。当時取材した際は、練習の課題などを毎日ノートにまとめるという熱心さが印象に残った
▼8時間に及ぶ大手術が再出発の一歩となり、コーチ人生を歩み始めた。しかしその後も手術を繰り返し、コーチ業は中断を余儀なくされた。何度もバスケから離れかけたが、熱意だけは失わなかったという
▼バスケへの情熱に胸を打たれた仲間は多かった。2014年にbjリーグ埼玉の監督に就任したのは同リーグ日本人初のMVP城宝匡史選手の後押しがあった。指導力に加え、下地さんの生きざまに共感したからだろう
▼下地さんはbjリーグ富山の監督も歴任した。国内トップチームから指導者としての要望が続く。命と向き合い指導に力を注ぐその姿は、多くの若者たちの心を支え続ける。