<金口木舌>ウチナーの苦楽運んだ船


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 一時期、船旅に凝っていた。といってもクルーズ船ではない。那覇と鹿児島を結ぶフェリーだ。琉球弧の島々を巡り、鹿児島へ向かう。夕日を眺めながら湯船につかった。風呂上がりのビールは格別だ

▼東京の晴海埠頭(ふとう)からフェリーに乗って那覇に戻ったこともある。2等客室でごろ寝を決め込むのんきな2日間。退屈だが、東京と沖縄の距離を体感できた。2時間余で一っ飛びの飛行機にはない味わいがあった
▼利便性では飛行機にかなわない。旅客フェリーの東京航路は既になく、阪神航路も9日の下り便で休止した。船会社の職員2人が小旗を振って、那覇港に着いた最後の旅客68人を迎えた
▼沖縄と大阪・神戸を結ぶ阪神航路の歴史は「琉球処分」の時代にまでさかのぼる。敗戦後も1950年代に定期航路が復活し、多くの県系人が暮らす大阪・兵庫と沖縄との懸け橋を担ってきた
▼上り便は、生まれ島を離れ、新天地へ赴く人々の期待と不安を運んだであろう。下り便が運んだのは故郷へ戻る喜びか。挫折や失意を運ぶこともあったろう。そんなウチナーンチュの心を運んだ航路だった
▼沖縄と日本本土を結ぶ旅客フェリーの運航は鹿児島航路を残すのみ。航空路の充実で本土は近くなった。それに見合うほど心の距離も短縮できたのか。ウチナーの苦楽を運んだ阪神航路の休止に接し、そのことを考えている。