<金口木舌>ふるさとへ帰る


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 那覇市に世帯数、人口ゼロという町がいくつかある。現在は那覇軍港の中にある住吉町はその一つ。東京で一坪反戦地主会の運動に尽くし、26日に急逝した上原成信さんの生まれ故郷であった

▼さまざまな集会に足を運んでいた。7月、辺野古新基地建設に反対する米軍キャンプ・シュワブ包囲行動でお見掛けしたばかりだった。かんかん照りの下、仲間と手をつなぎ、抗議の意思を示した
▼22日の衆院選も投票所にいくつもりだった。「最近、字を書いていないから」と言い、字の練習をしていたという。最期を看取(みと)った養女の美智子さんは、お通夜の席で「完全燃焼の人生でした」と振り返った
▼口数は少なく近寄り難かったが、茶目っ気もあった。オスプレイ配備に反対するハンガーストライキの場で「これが本当のハンストだ」とばかり、服をかけるハンガーを掲げる上原さんのいたずらっぽい笑顔を思い出す
▼長い東京暮らしの中でも、心は常に沖縄にあった。自著「那覇軍港に沈んだふるさと」が描く「生まり島」に心が和む。「私は自称民族主義者で、ウチナーンチュであることを自慢しています」とも記した
▼唱歌が好きだった。美智子さんは「早春賦」を歌い、上原さんを送った。基地のない沖縄を願い、ウチナーンチュの奮起を訴えた不屈の魂は、金網の向こうにある故郷へ帰ったのだと思う。