<金口木舌>沖縄ボクシングの礎築く


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 具志堅用高さんら世界王者を育て上げるなど、沖縄ボクシング界を支え続けた金城眞吉さんが16日午前1時34分、73年の生涯を閉じた。具志堅さんをはじめ、教え子たちに見守られ、穏やかな表情で旅立った

▼首里中時代にボクシングに出合い、南部農林高校では県内負け知らずだった。しかし、大きな希望を抱いて進学した日本大学で全国の壁にぶち当たり芽が出なかった。帰郷する船の中で指導者の道を決意したという
▼ボクシングへの情熱を背中で見せた。那覇市の自宅を改装し、ジムや寮を創設。家庭環境に恵まれない生徒もいたが、妻の清子さんと二人三脚で勝つことだけでなく、生き方も教えた
▼興南、沖縄尚学の両高校での監督歴は2014年まで約45年。常に選手と向き合った。教え子であり、両校OBらでつくる眞和会会長の羽地克博さんは「敵ではなく、自身に勝つ大切さを教わった」と人生の監督に感謝する
▼沖尚で新たな道を歩み始めようとしていた1995年夏、初めて金城さんを取材した。リングを見詰める厳しい視線、選手への叱咤(しった)激励は正直、怖さも感じた。しかし、選手たちは違った
▼「監督が見てくれている」と厳しい言葉一つ一つに笑顔をのぞかせた。信頼関係の強さが確かに見えた。沖縄ボクシングの礎を築いた唯一無二の存在だった。その遺志は出会った個々の胸に刻まれている。