<金口木舌>パインと台湾と沖縄


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 パイン生産量日本一の東村。その基礎をつくったのが元村長の宮里松次さん(故人)だ。妻のミエ子さん(92)の講演を名護市の名桜大学で聴く機会があった

▼ミエ子さんは日本統治下の台湾で生まれた。アジア太平洋戦争さなかの1944年に陸軍中尉として台湾に来た松次さんと出会った。46年に結婚、父親の故郷である福岡に引き揚げた
▼ある日、台湾の知人がパインを土産に持ってきた。「台湾を思い出すね」と話しながら食べた。「沖縄に帰ってパイン作りをしたい」。松次さんが言い出したのは、福岡で暮らして10年、ようやく生活が安定してきたところだった
▼「現実はそう甘いものではなかった」とミエ子さん。それでも知人の台湾人に技術指導を受け、パイン栽培に夢をかけた。松次さんは62年に村長に就任。畑に適した土地を村民に払い下げ、パイン生産を拡大させた
▼東村は今では「パインの村」と知られるようになった。あまり知られていないのが、沖縄での栽培と台湾とのつながりだ。石垣島に戦前、パイン産業を導入したのも台湾から来た人たちだった
▼台湾の暮らしを懐かしく思い出しつつ、戦争の影に覆われていった青春を振り返ったミエ子さん。「平和がいかにありがたいか知ってほしい」と学生に呼び掛けた。パインと台湾と沖縄。そして戦争。伝えていきたい先人の足跡がある。