<金口木舌>故人しのぶ年の瀬


この記事を書いた人 琉球新報社

 携帯電話を使い始めて約20年になる。ガラケーからスマホへと機種の更新を幾度か重ねるうちに、知人や取材先の電話番号の登録数が増えてきた。中には他界した人の番号も残っている

▼故人の電話番号を保存する必要はないであろう。しかし、消すことができずにいる。時折、携帯電話を操作しているうちに故人の番号を見つけ、在りし日の姿を思い出す。電話をかけて声を聞きたくなる。かなわぬことではあるが
▼今年もいよいよ押し詰まった。新聞や週刊誌には今年を振り返る特集が載る。他界した著名人の名を記した「墓碑銘」などの記事を目にすると、1年の終わりを実感する
▼戦世を原点とし、沖縄の平和を求めて活動した人々の訃報が心に残る。北島角子さんは「魚雷の喰え残くさー」を名乗り、一人芝居で平和の尊さを語り、踊った。版画家の儀間比呂志さんは沖縄戦の惨劇、米軍の圧政に立ち向かう民衆を描いた
▼シベリア抑留を経験した写真家の山田實さんは、好んで撮った子どもたちの笑顔に沖縄の未来を託した。東京で一坪反戦地主会運動を担った上原成信さんは最期まで辺野古を憂えた
▼故人を思うと切なさが募る。また会いたいという気持ちに駆られる。今年、家族や身近な親類、友人を亡くした人は寂しい年末となったろう。亡き人の顔や声を静かに思い出すのも年の瀬の過ごし方である。