<金口木舌>「住民を守る」責任とは


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 会社員が業務遂行中、法を犯して事件・事故を起こせば、会社は使用者責任を問われる。「それは明治憲法下でも同じだ」

▼瑞慶山茂弁護士は例え話を挙げて取材にこう答えた。自身が弁護団長を務める南洋・フィリピン戦国賠訴訟で那覇地裁は1月23日、謝罪と賠償を求めた原告の訴えを退けた。沖縄戦訴訟と同様、明治憲法下では国は責任を負わないとする政府側の国家無答責論を支持した
▼「国は軍事に関しては使用者責任を認めない。おかしな話だ」。瑞慶山さんは目を大きく開いてこう語った。敵を倒す戦闘行為は別だとしても、自国の軍隊が国民を死に追いやるのは当時の民法でも逸脱行為であり、国はその責任を負うべきだと主張する
▼「集団自決」(強制集団死)は殺人の教唆や強要であり、明治憲法下でも懲罰の対象だと訴える。「国家無答責論は、国は間違いを犯さないとの認識が前提だ」
▼沖縄戦訴訟は上告審、南洋・フィリピン戦訴訟は控訴審を控える。司法の壁は厚いが、瑞慶山さんは諦めない。「条理や正義を根拠に被害者を救えるはずだ」と、裁判官の良心を問う
▼沖縄戦当時、住民は日本軍に守られることを期待したが裏切られた。「日本兵が犯した罪の責任を認めなければ、日本政府がいくら『住民を守る』と言ってもうそになる」。瑞慶山さんの問題意識は、軍備強化が進む沖縄の今にも注がれている。