<金口木舌>「15の春」にエール


この記事を書いた人 琉球新報社

 高校がない離島では中学を卒業し、島を離れる生徒と家族の別れがこの春もあった。伊江中では、卒業生が親へ感謝の手紙を渡し、親から子へも手紙が渡された。互いに目頭を熱くする場面もあった

▼粟国島の港には「シタリー節之碑」と刻まれた大きな石碑がある。資源が乏しい村から出稼ぎに出る村民や、島を出て高校に進学する生徒を送り出す思いを歌ったものだ
▼「船や綱取やい 錨持ち上ぎてぃ 真南ぬ風頼ゆてぃ 那覇ぬ港」。歌詞には、航海の安全と立身出世への願いが込められている。かつて船出の際には、母親や家族らが腰まで海に漬かり、涙を流しながら見送ったという
▼島を出た生徒たちの多くは、アパートを借りたり、親類の家に身を寄せたりして暮らす。親も島を離れ、子どもと一緒に生活することもあるようだ。いずれにせよ、経済的な負担は大きい
▼離島を出て本島の高校に通う生徒たちのため、県立の寄宿舎が那覇市東町にあるが、希望者の全員が入れない場合もある。本年度は、入寮を希望した67人のうち、19人が定員超過のため入れなかった
▼寄宿舎の愛称「群星寮」は、中学生が考えた。未来に輝く星たちが集まり、楽しい生活を送ってほしいとの意味を込めた。「15の春」に、新たな一歩を踏み出す星の卵たち。その全てにエールを送りたい。未来をつくるのは君たちだ。