<金口木舌>「遺言」を考える


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 「延命拒否」。脳卒中で倒れ、97歳で亡くなった女性が生前、メモに書き残した。家族は意思表示ができない女性に代わり、延命治療の要否の選択を迫られ戸惑う

▼共同通信生活報道部が取材し、1月に発行した「ルポ 最期をどう迎えるか」に紹介された。ルポでは高齢者のみとりを巡るさまざまな現場で、その人らしい死を模索する姿が描かれている
▼家族に見守られて自宅で亡くなり、生前の希望から遺灰の一部を海に散骨した末期がん患者の男性にも迫った。主題ではないが、両者の願いは一種の遺言とも捉えられる
▼4月15日は「遺言の日」。遺言や相続問題を考える機会にしてほしい、と日本弁護士連合会が制定した。各地で遺言書の書き方や遺産相続に関する講演会や相談会が開かれる
▼昨年、大動脈乖離(かいり)の緊急手術をしたことを思い出す。「親しい人に感謝も伝えられない。あっけない」。手術直前、全身麻酔で意識がもうろうとする中、考えたのはその一点だ。人間いつ、その時が来るか分からない。遺言ではないが、自分と接する人々に感謝の気持ちを込めながら優しく、親切に生きようと心に決めた
▼遺言書は手間が掛かることから敬遠する人も多いという。だが、自分の遺産などを巡って家族が争う姿は誰も望まない。遺言を残すことは、後に残された人々に対する一種の優しさではないか。