<金口木舌>鉄血勤皇師範隊の生き残りだった・・・


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 鉄血勤皇師範隊の生き残りだった叔父が生前、戦争体験を幾度か明かしてくれた。首里城正殿の裏に今も残る師範隊の拠点「留魂壕」の思い出である。砲撃の合間に壕を出て、慌てて用を足したという

▼叔父は穏やかな表情で話していた。学友を失ったこと、自身が瀕死(ひんし)の重傷を負ったことは語らなかった。胸の奥底にしまっておきたかったのだろう。聞く機会を得ぬまま叔父は逝った
▼師範隊の先輩であり、昨年6月に亡くなった大田昌秀さんは幾度も自身の体験を書いた。敗戦から8年後、学友らと「沖縄健児隊」を編んだ。最後の著書も鉄血勤皇隊の記録集だった
▼自身の体験を語るとき、大田さんの声は上ずり、顔は紅潮した。激戦地を逃げ惑う学徒の面影を見る思いがした。「生き地獄の沖縄戦への道のり/川の流れのように命ど宝を生きてきた」。晩年に遺したメモの一文である
▼本紙連載「亡き学友と生きて」で鉄血勤皇隊や学徒隊の生存者の証言をつづっている。自身の体験を語りながら心は戦場に引き戻されていよう。つらいはずだ。それでも語るのは亡き学友の生きた証しを後世に伝えたいからだ
▼73年前の6月中旬から下旬、軍の「解散命令」が学徒隊に下った。それ以降、犠牲者が急増する。若い命を戦場に動員し、最後は放り出したのだ。忘れてはならぬこと、語り継ぐべきことはまだある。