<金口木舌>山之口貘と闘鶏


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 山之口貘さんは粘り強く推敲(すいこう)を重ねる詩人であったと多くの人が論じている。一編の詩に幾百枚もの原稿用紙を費やしたそうだ。言葉は磨かれ、形を変えながら詩は育ってゆく

▼亡くなった翌年に出た詩集「鮪(まぐろ)に鰯(いわし)」に、「沖縄風景」という作品が収められている。ミーバーラーと呼ばれる籠の中で過ごす闘鶏(タウチー)を描くこの詩も「推敲の鬼」の手によって成長を遂げた
▼原型と呼べるような詩が1957年1月1日付の本紙に載っている。題名は「タウチー」。タンメーが煙管(きせる)をたたく音で「タウチー達が一斉に/ひょいと首をのばしたのだ」という末尾は同じだが、それ以外は大きく異なる
▼闘いを続けるうちに目がつぶれ、とさかが傷ついたタウチーを貘さんは見つめた。「奴らはたがひに/祖先伝来の/暴力に生きて来た自らの半生を/そのまゝの姿でそこに証してゐたのだ」。この下りは「沖縄風景」にはない
▼貘さんが34年ぶりに帰郷したのは58年のこと。戦前、若き日に見たタウチーを回想したのだろうか。推敲によって硬質な言葉が省かれ、詩はユーモアを醸すが、闘鶏を哀れむ気持ちは同じであろう
▼争いの末、傷ついた鳥たちが県内各地で捨てられ、無残な姿をさらしていると本紙記事が伝えた。古くから伝わる沖縄の娯楽だからといって済む話ではあるまい。貘さんも嘆いているはずだ。