<金口木舌>歴史に「たら・れば」は許されない


社会
この記事を書いた人 琉球新報社

 歴史に「たら・れば」は禁物。だが、「どうにかならなかったのか」と思うことは誰にでもあるはずだ。2011年、日米当局に激震が走った。「日米合意は泥沼にはまっている」

▼同年4月、米議会上院軍事委員会のレビン委員長が辺野古移設に疑問を呈した。委員会が導き出した答えは「辺野古移設の見直し」。慌てた日本政府は説得工作を展開した
▼「移設費用は日本持ちだ」。重鎮らと面談し、辺野古移設に理解を求めた。沖縄の民意が置き去りにされる中、上院軍事委の筆頭理事・マケイン氏はその時点では移設見直しに傾いていた
▼大統領候補にもなった大物だ。アポが取りにくい人物だった。上院の廊下で待ち伏せして普天間移設問題について尋ねた。「計画の妥当性や沖縄の状況などを見て改めて検討する必要がある」。足を止めて答えてくれた
▼だが、日米両政府が日米合意の重要性を説く中、マケイン氏は13年に辺野古推進にかじを切る。その後に就任した翁長雄志知事は15年6月に同氏と面談している。心変わりする前に県側が粘り強く接触し味方にしていたらどうなっていただろうか
▼そのマケイン氏が他界した。信念を貫く政治家だった。その点、翁長知事と共通する部分もある。知事の遺志を受け、県が辺野古の埋め立て承認を撤回した。撤回を後押しした民意は再び県知事選で示されるのか。歴史にイフは許されない。