<金口木舌>年明けの劇薬


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 大宅壮一さんは1959年6月、同じ年の11月に岡本太郎さんが沖縄を訪れている。毒舌で知られる評論家と奇抜な発想で話題の芸術家に沖縄を論じ合ってもらおうと誰しも考えよう

▼年明けの60年1月1日と3日の本紙に「沖縄を料理する 毒舌ことはじめ」が載った。タイトルにたがわず、2人の対談は毒舌をちりばめながら進む。読者にとっては新年早々の劇薬だ
▼「床の間をアメリカに貸して主人の自分は納屋に住んで掃除夫なんかをやってるてなもんだ」と大宅さんが米統治を揶揄(やゆ)すれば、岡本さんは「沖縄に伝統はないよ」「なんにもない―そこから問題は出発する」と持論を展開した
▼日本復帰には懐疑的だ。大宅さんは「アメリカっていうダンナの代わりに日本をどうして選ぶのかね」と突っぱね独立の自由国家を目指すことを促した。「日本に従属すれば搾取されますよ」と岡本さんも手厳しい
▼沖縄県祖国復帰協議会が発足した年の発言だ。受け入れられる余地はなかったであろう。文化人の無責任な放言に聞こえる。今なら、日米外交の道具に供される沖縄を予期した忠告だったとも考えられる
▼岡本さんは「沖縄の運命は沖縄の人の努力しだいでどうにでもなる」と突き放しながら、幾度も沖縄に通い、発言を重ねた。沖縄愛の発露だったか。両人の残した劇薬の苦さをかみしめるのも無駄ではない。