<社説>首里城焼失  県民の力合わせて再建を

 首里城が焼け落ちた。沖縄戦で破壊された琉球王国の象徴を取り戻そうと情熱を注いだ多くの人の努力で復元を果たし、県民の心のよりどころとなってきた宝が一夜にして灰になった。なすすべのない光景に、わが身を引き裂かれたような悲しみと喪失感に沖縄全体が包まれている。

 沖縄最大の文化遺産を失った損失は計り知れない。だが打ちひしがれてばかりもいられない。鮮やかな朱に彩られた姿をもう一度復元させるため、県民の力を一つにし、再建へと立ち上がりたい。
 琉球王国の歴史そのものである首里城は、国王の居城として政治・文化の中心だった。正殿には「舟楫(しゅうしゅう)をもって万国の津梁(しんりょう)となし、異産至宝は十方刹(じっぽうさつ)に充満せり」と刻まれた「万国津梁の鐘」を掲げ、独立した国としてアジア各地へ繰り出す外交・貿易の拠点であった。
 近代以降は王国の崩壊とともに苦難の歴史をたどった。1879年に松田道之琉球処分官が日本陸軍熊本鎮台分遣隊の一個中隊を伴い首里城に入城し、国王を追放して日本軍の駐屯地として占拠した。
 1925年に国宝となったものの、沖縄戦で第32軍の司令部壕が地下に設けられたことで米軍の砲撃にさらされ、国宝は灰燼(かいじん)に帰した。
 一度失われた文化財の整備復元は困難の多いプロジェクトだった。文献や写真資料を基に瓦や柱の一つ一つに至るまで当時の技術を再現し、歴史家、工芸家、技術者らの英知を結集した施設として復元は成し遂げられた。
 首里城の復元で県民は沖縄の歴史・文化を再認識した。ウチナーンチュのアイデンティティーを強め、誇りをもたらした。2000年には主要国首脳会議の夕食会開催、首里城跡の世界遺産登録を果たし、新しい時代へ繰り出す沖縄を国際社会に発信した。
 その正殿、南殿、北殿の主要施設が火災で崩れ落ちてしまった。展示収蔵していた文化財はどうなったのか。心配だ。首里城は2月に国の許可を得て県に管理が移ったばかりだ。県の責任が問われる。
 火元は何だったのか。管理状況や消火体制に不備はなかったか。出火原因を突き止めるとともに文化財の防災対応について検証しなければならない。沖縄の貴重な文化財を二度と焼失の危機にさらさないためにも、徹底した究明が不可欠だ。
 沖縄戦による破壊を含め、首里城は歴史上4回ほど全焼したことがあったという。そのたびに再建されてきた。
 幸い30年前に始まった復元事業の成果は残っている。しっかりした体制が整えられれば、再び首里城をよみがえらせることは十分に可能だ。
 火災で焼失したフランスの世界遺産ノートルダム寺院、熊本地震で被災した熊本城も、早期復旧を願う多くの寄付や支援があり、修復へ向かっている。今度の首里城焼失も必ず乗り越えられる。



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