皇位継承の重要祭祀(さいし)「大嘗祭(だいじょうさい)」の中心儀式「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」が営まれた。皇室の公的活動費である「宮廷費」から、総額24億4千万円が支出される見通しだ。
儀式は紛れもない「神事」であり、国費の充当は憲法が定める「政教分離」に抵触する疑いがある。だが政府は昨年、十分な議論もなしに前例を踏襲することを決定した。憲法を軽視する姿勢と言わざるを得ない。
大嘗祭は、新天皇がその年にとれたコメなどを神前に供え、自身も食べ、国と国民の安寧を祈り、五穀豊穣(ほうじょう)に感謝する儀式だ。
大阪高裁は1995年、「即位の礼」「大嘗祭」への国費支出を巡り違憲の確認などを市民らが求めた訴訟の控訴審判決で「政教分離規定に違反するのではないかとの疑いは一概には否定できない」と指摘した。国費による執行は「国家神道に対する助長、促進になる行為」と述べている。内容を評価した原告は上告せず、判決が確定した。
皇嗣(こうし)秋篠宮さまが昨年11月の記者会見で「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と苦言を呈したのも無理はない。
大嘗祭は7世紀後半ごろに始まったとされる。約220年間の中断を経て、天皇の神格化を進めた明治期に大規模化した。権威を高めることで、国民に対する支配力を強める狙いがあった。
戦前は、天皇崇拝と結び付いた神社神道が国家から事実上、公認されていた。児童生徒らの参拝なども強要された。憲法の政教分離原則が定められた背景には、そのような過去の反省がある。
大嘗祭が行われた皇居・東御苑の「大嘗宮」は悠紀殿(ゆきでん)、主基殿(すきでん)など30余りの建物で構成される。今回の儀式のためだけに特設された。一般公開を経て取り壊される。
大部分の木材はなるべく再利用する方向で調整しているというが、国家予算の有効活用という観点からも疑問が残る。それ以前に、政教分離違反との批判は根強い。
政府は「重要な伝統的皇位継承儀式」として、今回も公的な皇室行事と位置付けた。これに対し、皇室の私的行事として行うべきだという主張もあった。
明治憲法で主権者とされていた天皇は戦後、新憲法の下で「象徴」に変わった。それでもなお戦前の形式にこだわるのはなぜか。
憲法との整合性を含め、国民の目に見える形で議論を深めるべきだった。
重要な論点があいまいにされたまま既成事実化が進むことに危うさを感じる。
大掛かりな儀式で殊更に権威を高める手法には警戒しなければならない。国民を統制する手段として天皇が利用される懸念があるからだ。
かつて天皇の名の下に戦争に突入し、おびただしい数の人命が失われた歴史を思い起こす必要がある。