<社説>首里城焼失1カ月 32軍壕含め全体の整備を

 首里城が火災で焼失して1カ月がたった。真っ赤な炎が夜空に浮かび上がり、朱と金のあでやかな正殿が無残に焼け落ちてしまった光景は、県民に大きな衝撃と悲しみを与えた。

 しかし多くの人が自分には何ができるかを考え、再建に向けた募金などの活動を始めた。呼応して県外からの支援も続々と集まっている。この1カ月はウチナーンチュの前向きな強さと明るさを見た気がする。
 火災は10月31日未明に発生し、主要な7棟を失った。火元は正殿1階北東とされ、「分電盤」などの電気系統設備から出火した可能性が高いとみられる。原因は特定されていない。正殿が焼き尽くされ証拠収集が困難だというが、再建に向けて、再発防止のためにも出火原因と責任の所在を明らかにし、二度と起こらないよう対策を講じなければならない。
 火災から1カ月がたったこの機会に首里城は誰のものか、考えたい。
 琉球国王の居城だった首里城は明治の廃藩置県で明け渡された後、1908年に首里区立工業徒弟学校となり、翌年首里区に払い下げられた。沖縄戦時には地下に日本軍の第32軍司令部壕が造られたために米軍の攻撃の的となり、首里城ごと壊滅した。
 沖縄戦終結から5年後の50年、跡地に琉球大学が設置される。敷地は後に那覇市などが所有地を大学に寄贈したものであった。しかし日本復帰で琉球大が国立に移管される際、その敷地ごと国有地となってしまう。
 復帰後も県は国に対して土地を無償で県に返還するよう要請するが国は応じなかった。県は92年に首里城跡地の一部を県立芸術大学の用地として鑑定評価額を約25%減額した約5億3千万円で買い取ることで国と合意した。もともと県民の土地だった首里城跡地を県費で買い取ったことになる。当時、県議会でも疑義が出されたが、既に県立芸大が土地を使用し、国が用地買い取りを迫っていたため押し切られた。
 首里城再建に当たり、その主体が議論されている。政府は再建について国が担うと確認した。国営公園で、さらに日本が誇る世界遺産になっていることを踏まえると国による再建支援は必要だろう。
 ただ、再建は焼失した正殿などに限るのではなく、沖縄戦で首里城の地下に設けられた32軍司令部壕や文化財を安全に保管する倉庫などを総合的に整備すべきだ。
 特に32軍壕は、県民に多大な犠牲を強いた「戦略持久戦」を指揮した牛島満司令官ら軍首脳が作戦を練った場所だ。沖縄戦の悲劇を知る一級の戦跡である。
 首里城を真に県民のものにするために、首里城の所有、管理は県が主体となり、総合的に整備すべきだ。首里城再建に寄せられている義援金の使途も総合的に検討すべきだ。



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