<社説>障がい者殺傷に死刑 重い課題突き付けている


社会
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 障がい者への差別と偏見に基づく犯罪は社会に重い課題を突き付けた。刑事責任能力の有無や程度を判断するだけで済ませていい事件では決してない。

 障がい者ら45人を殺傷したとして殺人罪などに問われた植松聖被告(30)に横浜地裁は死刑判決を言い渡した。命の価値に序列をつけるゆがんだ犯行は卑劣であり、断じて許されない。
 事件は2016年7月26日未明に発生した。相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、19歳から70歳までの入所者の男女19人が刃物で刺され死亡、職員2人を含む26人が重軽傷を負った。
 被告は「意思疎通ができない重度障がい者は周囲を不幸にする不要な存在」などと差別発言を繰り返した。ゆがんだ認識に基づく犯行動機が何をきっかけに、いつ、どのように芽生えたのか。こうした経緯が裁判を通して解明されたとは言い難い。
 同様の犯罪の再発防止のために、社会がどう向き合えばいいのか。教訓化するには程遠い判決と言わざるを得ない。
 横浜地検は5カ月間の鑑定留置を経て、17年2月に刑事責任能力が問えると判断し、殺人罪などで起訴した。弁護側が依頼した精神鑑定では、被告が長期間常用していた大麻の乱用により精神障害があると主張した。
 被告が大麻精神病により本来の人格ではなく、別人になった結果、事件が起きたと弁護側は訴えた。事件当時は心神喪失状態にあり、刑事責任能力はないとして無罪を主張していた。
 裁判の最大の争点は刑事責任能力だった。責任能力の有無が決すれば極刑ははっきりしていた。
 判決は犯行動機の形成の一つに「過激な言動で注目を集める米大統領のニュースを目にして“真実”を口にしてもいいのだと思い、自分が先駆者になれると思った」という被告の言葉を挙げる。そうであるなら強い差別意識というよりも、短絡的で幼稚な思い込みのようにも映る。
 刑事裁判の主目的が究極的には刑罰の決定であるにしても、あまりにも形式的過ぎて社会がくみ取るべき課題が見えてこない。検察側の主張を追認しただけでは不十分だ。
 事件で子どもが重傷を負った父親は判決後の記者会見で「(被告が)どうして事件を起こしたのか分からない。残念な判決になってしまった」と言う。事件の重大性、残虐性を踏まえて、十分に審理を尽くしたと言えるだろうか。
 看過できないのは被告と同様、障がい者を非難するような主張が社会の一部にあることだ。人間の尊厳をないがしろにする風潮は危険であり、一掃すべきだ。人権を全否定する悲惨な事件は、これで終わりにしなければならない。
 このような異常で残忍な事件をなくすにはどうすればいいのか。社会全体で考える必要がある。