<社説>東京パラが開幕 命守る大会運営に万全を


社会
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 新型コロナウイルス禍で初の1年延期となった東京パラリンピックが開幕した。障がいの有無を超えて違いを認め合う「共生社会」の実現に向かう契機になってほしい。

 ただし開催には重大な懸念がある。東京五輪後も急激な感染拡大が続き、医療崩壊寸前だ。アスリートの中には基礎疾患のある人がいる。
 重症者や中等症者を収容する施設の拡充が進まない中で、パラ関係者に重症患者が出たとしても受け入れられない可能性がある。国民と選手の命と健康を守るために万全を期しつつ、危機が迫った時は躊躇(ちゅうちょ)なく重大な決断を下すよう求めたい。
 国際パラリンピック委員会(IPC)のパーソンズ会長は共同通信のインタビューに対し、パンデミック(世界的大流行)下での開催を「史上最も重要な大会」と語った。
 しかし、パンデミック下であっても開催しなければならない理由は何か。選手や国民の命と健康について誰が責任を取るのか。根本的な問いに答えていない。
 緊急事態宣言は沖縄を含む13都府県、まん延防止等重点措置は16道県に及びさらに拡大する見込みだ。東京都の患者のうち、入院できた人の割合を示す「入院率」は9%と低迷。最も深刻な「ステージ4」に達している。五輪開催が人々の意識の緩みにつながり、間接的に影響した可能性は否定できない。
 パラリンピックは一般客に関しては無観客開催となるが、児童生徒らに提供する「学校連携観戦プログラム」は21日時点で、競技会場のある埼玉、千葉、東京の3都県が計約17万2千人を対象に実施する予定だという。
 学校連携観戦を巡って、政府の対策分科会の尾身茂会長は「(五輪開催時と比べ)今の感染状況はかなり悪い」と述べて慎重な姿勢を示している。これに対し、小池百合子都知事は「パラアスリートの挑戦を見るのは、教育的価値が高い」と発言した。
 確かに教育的価値は高いだろう。しかし、今は新型コロナのパンデミック下である。大会関係者は専門家の指摘を真摯(しんし)に受け止めるべきだ。
 パラ精神とは「失ったものを数えるな、残された機能を最大限に生かそう」である。「不可能(Impossible)だと思えたことも、創意工夫すればできるようになる(I’m possible)」を体現する。
 障がい者への差別や偏見が根強かった日本にパラスポーツの種をまいたのが前回の東京大会だった。コロナ禍でなければ、決して諦めず逆境を乗り越え、多様性を認め合うパラアスリートの競技する姿を会場で共有したいが、今回は残念ながら厳しい。
 県勢は陸上男子車いすT52の400メートルと1500メートルの代表で上与那原寛和選手が4大会連続で出場する。女子車いすマラソンT54の喜納翼選手は初のパラ挑戦となる。両選手の健闘に期待する。