<社説>施政権返還50年(3)憲法と沖縄 地方自治規定が鍵握る


社会
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 「屈辱の日」の4月28日(1960年)に結成された沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)は、運動方針に「日本国憲法の沖縄への適用を実現する」ことを掲げた。平和憲法を制定した日本に復帰したいという思いが運動を支えた。

 当時は戦争放棄を掲げる憲法9条が注目されたが、最近注目されているのは95条である。95条は特定の地方公共団体にのみ適用される法律は「その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ」制定できないと定めている。
 これまで沖縄の運命を決める重要な局面で、95条は適用されなかった。改憲勢力が勢いを増す中で、いまや形骸化が指摘される95条の地方自治規定は、沖縄問題解決の鍵を握る。95条を生かしたい。
 71年10月に召集された「沖縄国会」は沖縄返還協定批准の是非、「核抜き本土並み」の保証を巡り、野党が政府を激しく追及した。
 公用地暫定使用法案もその一つだ。施政権返還の際、米軍基地の土地返還要求をあらかじめ封じるため、所有者の同意がなくても継続使用できるという内容である。野党は一つの自治体のみに関わる法律であるとして95条に基づく住民投票を実施しない法案は違憲だと主張した。
 しかし、政府は「(施政権返還前の)沖縄はいまだに憲法上の地方公共団体ではない」と解釈して要求を拒んだ。
 では、沖縄にはいつ日本国憲法が適用されたのか。
 逢坂誠二衆院議員(立憲民主)の質問主意書に「昭和四十七年五月十五日の沖縄の復帰前においては、日本国憲法は観念的には同地域に施行されていた」と安倍晋三首相が答弁している(2017年2月21日)。
 憲法施行(1947年5月3日)以来、県民は一貫して憲法の下にあったが、米国の施政権下では、実効性をもって適用されなかったと読み取れる。
 それならサンフランシスコ講和条約が発効(52年4月28日)し、第3条によって沖縄が日本から切り離される前に「憲法95条の住民投票が必要であったのではないか」。沖縄国際大学の佐藤学教授(政治学)はそう指摘している(「沖縄法学」第50号)。
 憲法が実効性をもって適用された返還後はどうか。
 名護市辺野古の新基地建設について、首都大学東京の木村草太教授(憲法)は「憲法95条に基づき、名護市の住民による同意が必要」と指摘する。「米軍基地の設置は、立地する地方公共団体の自治権を制限し、住民生活にも多大な影響を与える」という理由からだ。
 日本政府は沖縄の声を無視して切り離して27年間、米国に差し出した。施政権返還後の50年間、基地問題解決を訴える沖縄の声に向き合わない。憲法が保障する地方自治を軽視する日本政府の姿勢こそ厳しく問われるべきだ。