<社説>「建白書」10年 普遍的価値は一層増した


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 平和で暮らしよい沖縄を求める県民の原点とも言える文書だ。その意義を改めて確認したい。

 米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去と県内移設断念、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備撤退を求める「建白書」が、県民代表から当時の安倍晋三首相に手渡されて10年を迎えた。
 県民の要求は実現していない。辺野古新基地建設は強行され、オスプレイは居座り続ける。だからといって「建白書」を過去の文書として片付けるわけにはいかない。政府は県民の願いに背を向け、米国と共に南西諸島の軍備増強を進めている。この危機的状況の中で、沖縄の苦難の歴史と平和希求の精神に根ざした「建白書」の持つ普遍的価値は一層増したと言える。
 「建白書」には県議会議長、県内41全市町村長と議会議長、各種団体の長の署名・押印がなされている。県民意思の総結集である。近現代史の中で自己決定権をないがしろにされてきた沖縄が、超党派で異議を申し立てた歴史的意義は大きい。改選によって首長や議会議長が代わっても、その意義は揺らぐことはない。
 「建白書」は「沖縄の実情を今一度見つめていただきたい。沖縄県民総意の米軍基地からの『負担軽減』を実行していただきたい」と安倍首相に求めている。沖縄の要求は、現在の岸田文雄首相に至るまで顧みられていない。「この復帰40年目の沖縄で、米軍はいまだ占領地でもあるかのごとく傍若無人に振る舞っている。国民主権国家日本のあり方が問われている」とも断じた。主権国家にあるまじき状況は、復帰50年を過ぎた現在も続いている。
 日本はいま、「建白書」で示した沖縄の意思とは正反対の方向に進んでいる。国民主権国家の歩みは瀬戸際に立たされているのだ。
 昨年12月に閣議決定した安全保障3文書の一つである国家安全保障戦略は「国家としての力の発揮は国民の決意から始まる」と論じた。「国民が我(わ)が国の安全保障政策に自発的かつ主体的に参画できる環境を政府が整えることが不可欠である」とも記した。
 政府が一方的に国防の「決意」を国民に求めているのだ。このような内容を含む文書が国会審議を経ないまま閣議決定されたのである。これこそ国民主権を根底から覆すような暴挙ではないか。この状況にあらがうためにも、私たちは安全保障3文書の対極に「建白書」を据えながら、沖縄の意思を引き続き発信しなければならない。
 10年前、「建白書」を携えた沖縄代表150人が東京・銀座でデモ行進をした際、「反日」「売国奴」と罵声を浴びせられた。現在、沖縄を嘲笑する言説がネット上にあふれている。私たちは「沖縄ヘイト」の広がりにも「建白書」に込めた精神で立ち向かう必要がある。