<社説>戦後78年の「終戦の日」 「新たな戦前」を拒否する


社会
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 1945年に日本が敗戦して78年目の「終戦の日」である。政府が大軍拡に乗り出そうとしている今、「絶対に戦争はさせない」決意を確認する日にしなければならない。

 昨年末のテレビ番組でタレントのタモリ氏が「新しい戦前」と語って注目された。「新しい」という言葉は前向きなニュアンスも含んでいないか。再来させてはならないという意味を込めて「新たな戦前」と言いたい。
 敗戦の78年前に当たる1867年の大政奉還以降、日本は近代国家の歩みを始めた。天皇を頂点とする中央集権体制を「国体」として、軍事大国化を目指して戦争に明け暮れ、国家の破綻に至った。
 戦後の78年間は「戦後の国体」(白井聡京都精華大准教授)として対米従属体制となり、基地の提供などで米国の戦争に加担し続けた。アジア太平洋諸国への加害責任、空襲被害者への賠償、遺骨収集、原爆被爆者援護の拡充など、戦後処理の問題は今も未解決のままだ。
 最近の世論調査で読み取れる国民の多数意思は、揺れながらも「専守防衛」の平和国家、国際協調による平和外交と「人間の安全保障」を望んでいる。6月の沖縄県知事、今月の広島市長、長崎市長の平和宣言も、共通してそのことを訴えた。しかし、政府は集団的自衛権の行使容認、敵基地攻撃能力(反撃能力)保有、南西諸島での自衛隊の拡大、防衛費大幅増などを進めた。「新たな戦前」への懸念が深まっている。
 さらに、麻生太郎自民党副総裁が、台湾海峡の平和と安定には強い抑止力を機能させる必要があり、日本と米国、台湾には「戦う覚悟」が求められると述べた。中国を刺激する無責任な発言だが、政府内部を含め調整した上でなされたという。自衛隊の「南西シフト」などと合わせれば、この発言は南西諸島での戦争準備による威嚇に他ならない。このままでは、威嚇の応酬と軍拡競争が避けられなくなる。
 「戦う覚悟」の先には、戦闘に赴く自衛隊員や戦場になる地域の住民がいる。甚大な経済的打撃も被る。それは念頭にあるのか。「軍隊は住民を守らない」「国家は責任を取らない」という歴史的教訓を思い起こすべきである。
 戦争とは破壊と殺りくである。核兵器使用はもとより戦争自体が非人道的であり、禁止すべきというのが国連憲章、日本国憲法の理念だ。戦争は、始まった時点で双方に犠牲と破壊を生む。双方が敗者であり、世界中に悪影響が及ぶ。その認識が本来の「抑止力」である。ロシアのウクライナ侵攻は、その「抑止力」が働かなかった結果であり、国際社会の戦争をさせない力が弱かったためである。
 軍事力に頼る抑止は戦争の危険性を高める。敗戦78年を機に、「新たな戦前」を拒否し、「戦争をさせない覚悟」を新たにしたい。