<社説>平良とみさん逝く 沖縄愛した魂を継ぎたい

 沖縄を愛してやまない名優が逝った。全国から沖縄の温かい人間性を象徴する「おばあ」として親しまれた女優の平良とみ(本名トミ子)さんが87歳で亡くなった。

 沖縄芝居を軸に、テレビ、映画で幅広く活躍し、しまくとぅば継承にも尽くした功績は大きい。「沖縄の宝」と言っていい存在だった。謹んで冥福を祈りたい。
 とみさんが残した財産は芸能界だけにとどまらない。その魂を継ぎ、沖縄の未来に向けて生かすことに努めたい。
 1928年、那覇市生まれ。石垣島にいた13歳の時に人気劇団翁長小次郎一座に入団した。標準語が励行され、学校で「方言札」が幅を利かせた時代に幼少期を過ごした。標準語は上手だったが、一つだけ直せなかった言葉が「あやー(お母さん)」だった。
 母親から首里士族の品格を受け継いだ少女は、真喜志康忠氏らの指導の下で厳しい稽古に打ち込み、母親やおばあを演じる老け役を得意とする名優に成長した。役づくりの努力を欠かさない真摯(しんし)な姿勢は後輩からも尊敬された。
 達者なヤマトグチとしまくとぅばを駆使し、映画「ナビィの恋」に出演し、2001年のNHKドラマ「ちゅらさん」では主人公の祖母役を演じた。柔和な笑顔とゆったりとした語り口で人気者となり、沖縄ブームを巻き起こした。
 「ちゅらさん」を手掛けた脚本家の岡田惠和(よしかず)さんは訃報を受け、秘話を明かした。とみさんから「このドラマは沖縄のためになりますか」と聞かれ、「絶対そうします」と答えたという。
 沖縄芝居にとどまらず、沖縄戦を描いた演劇「洞窟(ガマ)」や喜劇「めんそーれ沖縄-なんくる狂想曲」などに出演した。慰霊の日前後の公演にこだわり、沖縄の歴史や不戦の誓いを全国に発信した。
 近年は夫の進さんと共に講師を務め、しまくとぅばを後世に残すため体を張っていた。
 「どぅーぬ生まりじまぬ言葉忘(わし)ーねー、国ん忘ん、親(うや)ん忘ん(生まれた土地の言葉を忘れると、国も忘れ、親も忘れる)」。2013年9月の琉球新報創刊120年記念の座談会では、しまくとぅば継承への危機感を語りつつ、子どもたちにあいさつを覚えさせる重要性を説いていた。
 その役者魂とともに沖縄の文化、言語への深い愛着が際立つ人だった。とみさん、安らかに。笑顔とぬくもりをありがとう。