<社説>10・10空襲から79年 教訓正しく伝える努力を


<社説>10・10空襲から79年 教訓正しく伝える努力を
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 1944年に南西諸島の島々を米艦載機が攻撃した「10・10空襲」から明日で79年になる。早朝から夕刻までの9時間、5次にわたる爆撃で軍人・軍属、住民ら少なくとも668人が死亡、768人が負傷した。

 10・10空襲は米軍上陸による激しい地上戦の前哨戦となり、日本全国で約76万人が犠牲となった無差別攻撃の始まりともなった。被害の大きかった那覇市は約9割の家屋が焼失した。
 空襲は、軍事施設を目標にしたとしても、民間地域にも甚大な被害をもたらす。軍事施設の存在が、かえって住民の安全を脅かす恐れがある。軍民混在となり住民に犠牲を強いた沖縄戦での地上戦の実相と合わせ、この教訓を改めて胸に刻まねばならない。
 しかし、沖縄県内では、この教訓とは正反対の動きが進む。政府は自衛隊の「南西シフト」を進め、2016年に与那国島に陸上自衛隊の駐屯地を開設。19年に宮古島、奄美大島、23年には石垣島に駐屯地を開設した。22年12月に閣議決定された安全保障関連3文書では、那覇市に拠点を置く陸自第15旅団の師団への格上げを明記。与那国駐屯地に地対空ミサイル部隊、勝連分屯地に地対艦ミサイル部隊の配備が計画されている。
 在日米軍専用施設の70%が集中する沖縄に、自衛隊が増強されていく。軍事活動を活発化させる中国を念頭にした動きだが、「有事」回避への努力が見えぬ中、軍備増強がエスカレートすることは、沖縄県民、ひいては国民の安全を脅かすことにつながる。
 教訓を伝える取り組みに逆行する動きもある。23年度から高校生が使用する教科書検定で、合格した5社7冊の「日本史探究」すべてに10・10空襲の説明記述がなく、清水書院の教科書では、太平洋戦争中の米軍による最初の無差別攻撃を、1945年3月の「東京大空襲」と記述した。歴史を正しく伝えなければ、教訓は正しく生かされない。沖縄戦の実相を後世に伝えていく不断の努力が必要だ。
 10・10空襲当時、日本政府は米政府に対し、非軍事施設である市街地への攻撃は国際法に違反すると抗議した。無差別攻撃は当時も現在も、国際法に反する行為だ。
 長期化するウクライナ紛争では、ロシア軍による空爆でウクライナ市民に多数の犠牲者が出ている。中東では、イスラム組織ハマスがイスラエルに向け3千発以上のロケット弾を発射、イスラエル側は報復としてハマスが実効支配するパレスチナ自治区ガザを空爆、双方に多数の犠牲が出ている。
 どのような名目であれ、戦闘行為によって民間人に犠牲が出ることはあってはならない。無差別攻撃は報復の連鎖を生み出し、紛争を長期化させる。戦争による悲劇を生まないよう、対話を基軸とした紛争解決に向けた国際協調が求められる。