<社説>砂川事件訴訟判決 米国追随判断を踏襲した


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<社説>砂川事件訴訟判決 米国追随判断を踏襲した
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 司法は自らの独立を取り戻す機会を逸したと言わざるを得ない。

 刑事特別法違反の罪に問われ有罪が確定した1957年の砂川事件の元被告らが、59年の最高裁判決前に最高裁長官が評議の内容を米国側に伝え、公平な裁判を受ける権利が侵害されたとして国に損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は請求を棄却した。
 公文書によって明らかになった歴史的事実の解釈を狭め、米国に追随する過去の司法判断を踏襲するものだ。
 元被告らの刑特法違反事件で、59年の一審東京地裁は米軍の駐留は違憲との判断を示し、無罪を言い渡した。最高裁は、米軍基地問題など高度の政治問題については司法審査の対象の外にあるとする統治行為論を持ち出し、一審判決を破棄したのだ。
 統治行為論は沖縄など米軍基地から派生する被害救済を訴える人々の訴えを退ける論拠となり続けている。今回の判決も、統治行為論を盾に基地被害からの救済を求める住民の訴えに背を向けてきた司法判断の延長上にある。
 元被告らが損害賠償を求めて裁判を起こしたきっかけは、59年12月の最高裁判決を前に当時の田中耕太郎最高裁長官が駐日米国大使らと密談していた記録が2008年以降見つかったことにある。
 記録などによると一審東京地裁判決の翌日、外相と面会した駐日米国大使が、控訴ではなく最高裁に上告する跳躍上告を具申しており、実際に検察は上告した。田中長官が駐日大使らに東京地裁判決を「憲法上の争点に判断を下したのは誤り」と発言していたことなども判明した。長官と会った駐日大使が「(下級審判決が)覆されるだろうと感じている印象を受けた」ことなども公文書は示している。
 日米両政府と司法は気脈を通じていたことがうかがえる。1960年には安保条約改定を控え、日本国内は改定反対の世論が強まっていた。米軍の駐留を合憲とするよう米側が最高裁に圧力をかけていたことが鮮明である。「法の番人」たる最高裁が米国に追随したのだ。
 砂川事件の最高裁判決は沖縄の基地問題解決の障壁になっている。嘉手納基地周辺住民が82年から繰り返し訴えている早朝・深夜の飛行差し止め請求は司法に退け続けられている。基地管理は米国に委ねられ、日本政府は規制できる立場にないとの第三者行為論が論拠で、その背後に統治行為論がある。
 元被告の土屋源太郎さんは、辺野古新基地建設に反対するキャンプ・シュワブ前での市民集会も訪れ、連帯を表明していた。国の代執行訴訟に触れ、国民、県民世論を顧みない司法の姿勢について「砂川事件と構図は同じ」と指摘した。土屋さんは控訴する意向だ。過去の歴史と向き合い、権力の干渉を排した司法の独立を取り戻せるかがかかっている。