<社説>ガルトゥング氏死去 沖縄の平和構築提言した


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<社説>ガルトゥング氏死去 沖縄の平和構築提言した
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 沖縄を苦しめるさまざまな暴力を克服し、平和を実現する道を語ってくれた。

 「平和学の父」と呼ばれたノルウェーの平和学者、ヨハン・ガルトゥング氏が亡くなった。世界各地の紛争調停に携わり、戦後の国際平和秩序の進展に尽くした。米軍基地の重圧にあえぐ沖縄に心を寄せ、平和実現の道を説いた。
 行動する平和学者を悼み、その業績を再確認したい。
 ガルトゥング氏は平和概念の転換をもたらしたことで知られる。平和を戦争のない状態と捉える「消極的平和」に対して、貧困、抑圧、差別などの「構造的暴力」がない「積極的平和」を提唱した。1959年には平和学の拠点となる「オスロ国際平和研究所」を開設した。
 その立場から、日米同盟に依拠した安倍晋三元首相の「積極的平和主義」を批判した。安倍氏の政策は防衛力の増強を背景とした国際貢献を提唱するものであり、その延長上に岸田政権の防衛力増強があると言える。ガルトゥング氏の「積極的平和」とは全くかけ離れたものである。
 1996年と2015年に沖縄を訪れたガルトゥング氏の目には「構造的暴力」にさらされながら、その克服に挑む県民の姿が見えたであろう。米軍基地を押しつける日米両政府の差別的政策を批判し、アジア近隣諸国との信頼関係と国際機関の誘致による平和構築を説いたのである。それは1990年代以降の沖縄県政が目指す方向性とも基本的に一致していた。
 96年に来県し、当時の大田昌秀知事と対談した際、ガルトゥング氏は「沖縄は基地のために強制的に土地が使われ、県民は軍事的脅威や事故の危険にさらされている。平和と対立する概念である構造的暴力の下に置かれている」と指摘した。「この状況が半世紀続いたのは、日本が沖縄を決して平等な立場で見ていなかったからだ」とも厳しく論じた。
 その上で「武力の時代は過ぎた。平和の中で発展を希求する時代に沖縄はアジアにおける中立国スイスの役割を果たせる」として、沖縄を人材育成と国際交流の拠点とするよう提言している。
 2015年の来県では辺野古新基地建設に反対し、米軍キャンプ・シュワブのゲート前で抗議行動を続ける県民を訪ね「皆さんは日本の民主主義そのものだ」とたたえ、「沖縄の将来のため、このクリエーティブな活動を続けることを願っている」と激励した。
 ガルトゥング氏が沖縄で発した言葉は今も県民の心に響く。提言は沖縄の平和行政、県が推進する地域外交にも生かせるはずだ。
 ロシアのウクライナ侵攻からまもなく2年となる。ガルトゥング氏が求めた方向とは異なる事態が起きている。しかし、平和への歩みを断念してはならない。「積極的平和」の理念を再評価し、磨きをかけるときである。