<社説>能鳳さん芸術院会員に 伝統文化の豊かさ示した


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<社説>能鳳さん芸術院会員に 伝統文化の豊かさ示した
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 「組踊立方」の重要無形文化財保持者(人間国宝)である宮城能鳳さんが日本芸術院(野村萬院長)の新会員に選出された。県出身者の会員は初となる。

 独自の歴史、風土に育まれた沖縄の伝統文化の豊かさを実感させる快挙である。組踊を伝承する能鳳さんの存在は日本の伝統芸能の多様性を裏付けるものでもある。誇りをもってこの朗報を県民と共に喜びたい。
 日本芸術院は文部省美術展覧会の美術審査委員会を母体として、1919年に帝国美術院として創設された。美術、文芸、音楽、演劇など芸術各分野の優れた芸術家を優遇顕彰するために設けられた国の栄誉機関だ。今年は芸術活動で顕著な功績があったとして12人が推薦された。
 能鳳さんの推薦理由について同院は「古典はもとより、廃絶曲の復曲、新作の創作に積極的に取り組んだ」「後進の指導に当たり、あまたの専門家を育成している」ことなどを挙げた。
 海外との交易によって栄えた琉球王国時代に「組踊」は生まれた。中国皇帝の使者である冊封使を歓待するため、18世紀初頭の踊奉行であった玉城朝薫によって創始された。300年以上の歴史を持つ沖縄を代表する伝統文化だ。
 その継承者である能鳳さんが会員に選ばれた意義は大きい。日本の能や浄瑠璃、歌舞伎の影響を受けながら沖縄で生まれ、舞踊家によって今日まで伝承されてきた組踊が日本の伝統芸能の中で最高の芸術と位置づけられたのだ。
 100年以上の歴史のある日本芸術院の中で琉球芸能の担い手は能鳳さんが唯一である。今回の選出を機に、独自の歴史と文化を育んできた沖縄の伝統芸能が、日本の伝統芸能の中でも存在感を放つことになるであろう。
 組踊立方は、琉球古典音楽に乗せて舞踊や所作、せりふによって役柄を表現する。登場人物を表現するには、筋の展開や各役柄に対する深い理解と知識が必要とされる。
 能鳳さんは幼少期から琉球古典舞踊の手ほどきを受け、1961年に宮城能造氏に師事した。沖縄芝居の女形として活躍した伝説的な舞踊家から技と心を受け継ぎ、芸を磨いてきた。2006年に「人間国宝」に認定された。
 同時に沖縄県立芸大でも教授として若い舞踊家の育成に携わった。85歳になった今も後進の指導に尽力している。
 幸い、若い組踊の継承者が育っている。開場20年になる国立劇場おきなわでは、次代を担う実演家、演出家が活躍している。能鳳さんら継承に力を注いできた舞踊家・実演家の情熱によって沖縄の伝統芸能が守られ、花開いたことを忘れてはならない。
 組踊など伝統芸能の継承は芸能関係者だけではなく、県民ぐるみの支援も必要だ。能鳳さんの日本芸術院会員決定を機に、伝統継承の意義を確認したい。