<社説>対馬丸海中再調査へ 犠牲向き合い責任果たせ


<社説>対馬丸海中再調査へ 犠牲向き合い責任果たせ
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 国策によって引き起こされた悲劇を繰り返さないための調査であるべきだ。

 1944年8月22日に、米潜水艦の攻撃で学童疎開の児童らが犠牲になった対馬丸事件について、政府は2025年度に沈没した対馬丸の水中調査を検討していることが分かった。25年度沖縄関係予算の概算要求へ計上する方向だ。

 対馬丸を巡っては、1997年に位置確認調査が実施され、鹿児島県・悪石島の北西沖の水深約870メートルの海底に沈んでいる船体が確認された。船首に刻まれた「對馬丸」の文字も撮影されている。

 当時と比べ技術が進歩していることを踏まえ、立体的に船体や周囲の状態を把握する狙いがあるという。97年の調査で船体の引き揚げは困難とされているが、今回の調査にあたっては、対馬丸記念会は遺品の一部を引き揚げることも希望している。

 詳しい調査方法や調査結果の活用などこれから明らかになるとみられるが、遺族らの意向に最大限に寄り添い、対馬丸事件を語り継ぐための調査であることを念頭に置くべきだ。

 1944年7月7日、サイパンの日本軍が壊滅したことを契機とし、政府は南西諸島の高齢者や女性、子どもたち約10万人を九州や台湾に疎開させることを決定した。「軍の足手まとい」になる住民を立ち退かせ、食料を確保することが目的だった。県も同月19日に「県学童集団疎開準備要項」を発令、「軍の論理」に従い、学童疎開を推し進めた。

 当時、南西諸島近海では、陸海軍に徴用された民間船舶が米潜水艦による攻撃により沈没するなど、制海権は失われていた。そのような危険な海に、子どもたちや住民が送り出された。「軍の論理」を優先したことによって尊い多くの命が失われたのだ。

 調査は、対馬丸事件80年、対馬丸記念館開館20年の節目に合わせた事業と位置づけるが、対馬丸記念館の管理運営を担う記念会の高齢化などにより、その維持管理が課題となっている。

 国策の犠牲を二度と生まないためにも、記念館の維持支援も政府の責任であろう。水中調査も実施して終わりではなく、結果を生かさなければならない。

 一方、対馬丸と同様にフィリピンやサイパンなどを出発した引き揚げ船25隻も米軍の攻撃によって沈められたが、十分な補償がなされていない。当時、米国は日本海軍の暗号解読に成功しており、徴用された船舶が攻撃された。しかし政府は戦時遭難船舶の一般乗船者は「援護法の対象外」との立場を取っている。政府主催の洋上慰霊祭も2001年にしか開催されていない。

 戦時遭難船舶の乗船者たちはなぜ犠牲になったのか。遺族への補償を含め、政府の責任を明確化することが、悲劇を繰り返さないための一歩になる。