<社説>サントス事件で謝罪 負の歴史直視し未来築け


<社説>サントス事件で謝罪 負の歴史直視し未来築け
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 画期的な謝罪と言えよう。過去の過ちを直視し、明らかになった事実を語り継ぐ行為によって未来が築かれることを示したのである。

 ブラジル政府は、第2次大戦中に日系人を居住地から強制退去させた1943年の「サントス事件」と、戦後の動乱の最中に日系人を収監し、拷問したことは誤りだったと認め、公式に謝罪した。

 第2次大戦では米国やカナダでも日系人の強制立ち退きが起きており、両国政府は謝罪している。日系人迫害に対し、ブラジル政府が謝罪するのは初めてである。

 「サントス事件」に巻き込まれた日系人の約6割が沖縄県系人とされ、ブラジル沖縄県人会がブラジル政府に謝罪を請求してきた。政府人権・市民権省の恩赦委員会が要請を審議し、全会一致で謝罪を決定した。県系人社会にとっても歴史的な節目となった。

 第2次大戦で連合国側につき枢軸国と敵対したブラジルは国内に住む日系人や日系社会を抑圧するようになった。43年の「サントス事件」ではサンパウロ州サントスに住んでいた日系人を「敵性外国人」と見なし、約6500人を強制的に収容所や内陸の居住地へ送った。

 混乱は大戦終結後も続いた。日系人社会の間で日本が戦争に勝ったとの流言を信じた「勝ち組」と敗戦を受け入れた「負け組」が激しく対立する中、「負け組」を襲撃したとされる「勝ち組」172人を46年から48年にかけてサンパウロ州沖アンシエッタ島の刑務所に収監したのである。140人近くは襲撃とは無関係だったという。

 いずれも日系人が身体的、経済的な苦痛を強いられた不幸な出来事として日系社会の中で記憶されてきた。新天地を求めて海を渡った県系人も時代の奔流に巻き込まれた。家族離散を余儀なくされ、財産を失うという不条理に見舞われたのである。

 今回、ブラジル政府は、これらの日系人・県系人社会に対する約80年前の国家の罪を認め、謝罪した。負の歴史と向き合う姿勢を示したものと言えよう。

 今後、「サントス事件」やアンシエッタ島の収監の事実解明が進むことを期待したい。負の歴史をブラジル政府と日系・県系人社会が共有し、不幸な時代を二度と招いてはならないと誓うことで、確かな未来が築かれる。それは日本とブラジルの友好関係にも資するはずだ。

 同時に日本は過去と向き合う姿勢を学ぶ必要がある。

 アジア・太平洋戦争の過程で日本が中国や朝鮮半島、太平洋の国々に強いた行為を私たちは直視しているとはいいがたい。過去の歴史を直視せず、過ちの清算を避けたまま近隣国と歴史観を巡る対立を続けているのではないか。

 国家の罪を認めたブラジル政府の決断は、過去の歴史と真摯(しんし)に向き合う大切さを私たちに伝えているのである。