<社説>日弁連死刑廃止宣言 国民的議論を始めよう


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 日弁連が7日に採択した「死刑制度の廃止を含む刑罰制度全体の改革を求める宣言」は、死刑制度の是非だけでなく、刑事、司法、福祉など社会全般にわたる国民的議論を提起したものといえる。

 日弁連は2002年の「死刑制度問題に関する提言」を発表した後、04年、11年と決議や宣言で死刑確定者に対する刑の執行停止や情報公開、国民的議論に必要な検討機関の設置などを政府や国会に求めてきた。
 今回は初めて死刑制度自体の廃止を表明した。さらに宣言では2020年という期限も定めた。20年に国内で刑事司法改革を議論する国連会議が開催されることを意識したものだ。
 死刑制度廃止を世界各国に働き掛ける欧州連合(EU)から歓迎の声がある一方、犯罪被害者を支援する弁護士からは「正義を押し付ける暴挙」との批判がある。今回の宣言の主旨を踏まえれば、死刑制度の是非にとどめず、総合的な議論の開始を期待したい。
 宣言は過去に4件の死刑判決事件で再審無罪が確定したことを挙げて「えん罪で死刑となり、執行されてしまえば、二度と取り返しがつかない」としている。
 1992年に福岡県飯塚市で女児2人が犠牲となった飯塚事件では、被告が無罪を主張したものの、判決確定から2年余りで死刑が執行された。日弁連は当時のDNA鑑定法などに多くの問題があり、冤罪(えんざい)が強く疑われるとしている。「取り返しのつかない」事態は既に起きているかもしれないのだ。
 冤罪の温床とされる「代用監獄」をはじめとする制度、自白偏重や捜査機関重視の裁判といった現状はすぐにも見直す必要がある。
 同時に日弁連が提唱する死刑に代わる終身刑の導入、再犯防止や社会復帰を前提とする更生・教育手法なども議論せねばならない。
 さらに日弁連は犯罪被害者・遺族への対応も重要な課題として「福祉の協力を得て、精神的な支援を含めた総合的な支援が必要である」と宣言の中で言及している。死刑廃止の議論は遺族感情にも配慮しながら慎重に進める必要があるだろう。
 09年に始まった裁判員裁判制度では、一般市民が犯罪と向き合い、量刑を決める。誰もが死刑制度と無関係ではいられない。日弁連の宣言を契機に一人一人が死刑の是非、司法や被害者救済の在り方を議論する出発点としたい。