<社説>オスプレイ空中給油 訓練再開は言語道断 危険の押し付け許されぬ


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 米軍も防衛省も安全を保証してはいない。県民の安全を一顧だにしない決定であり、言語道断だ。

 防衛省はオスプレイが6日から空中給油訓練を再開すると発表した。「安全に空中給油を実施する準備が整ったものであると考えられる」との容認理由は到底受け入れられない。
 米側の事故調査は終わっていない。にもかかわらず、危険な訓練を再開するのである。
 これ以上、県民が日米同盟の犠牲になるのはごめんだ。空中給油訓練だけでなく、専門家が欠陥機と指摘するオスプレイ自体を撤去すべきだ。

 「安全」なき容認だ

 米軍普天間飛行場所属のオスプレイは昨年12月13日、夜間の空中給油訓練中にプロペラが給油ホースに接触して損壊、名護市安部の浅瀬に墜落し大破した。
 防衛省によると、米側は人的要因と乱気流などの環境要因に、夜間の空中給油の複雑さが重なり、ホースとプロペラが接触した可能性があると説明している。
 人的要因、環境要因、それと空中給油の難しさが重なった末の墜落である。その一つ一つの危険要因を、墜落から1カ月もたたずに除去することは不可能だろう。
 米側が実施した対策は、抜本的対策には程遠い。オスプレイの全搭乗員に対して、天候や飛行条件を事故発生時と同じに設定し、空中給油の手順を確認し、陸上でのシミュレーションなどを完了したとする。だが、その具体的な成果については言及がない。
 「平時および緊急時において搭乗員の安全と効率性を最大化することを確認」「詳細な教育が行われた」などと自画自賛に終始している。安全が担保されたとはとても認められない。
 防衛省の訓練再開容認も理解できない。米側の説明をうのみにし「搭乗員同士および航空機同士の連携を向上させた」「緊急事態への対応を改善した」ことなどを理由に挙げたが、その根拠は米側の説明以外に見当たらない。
 最終的には「米側は接触を引き起こした可能性があるとして指摘された要因に対し、有効であると思われる対策を幅広くとっているものと考えられる」と結論付けた。だが、安全が保証されたと言い切ってはいない。「思われる」「考えられる」との表現は、安全面への不安の表れである。
 稲田朋美防衛相は「防衛省・自衛隊の専門的知見や経験に照らしても(対策は)妥当だ」とのコメントを発表した。だがこれも、空中給油訓練の安全を宣言してはいない。

 優先すべきは県民

 防衛省は、米側から「空中給油が日本の防衛とアジア・太平洋地域の平和と安定にとって欠くことのできない活動」などと説明を受け「飛行の安全が確保されることが大前提ではあるが、空中給油の重要性を理解する」とした。
 つまり、安全確保より「空中給油の重要性」を優先させたということである。
 防衛省のオスプレイ訓練優先姿勢は、防衛相の「対策は妥当」とのコメントと明らかに矛盾する。
 許し難いのは、日本やアジア・太平洋地域のために、沖縄が犠牲になるのは当然と読める点だ。県民を愚弄(ぐろう)するにも程がある。
 安倍晋三首相は空中給油訓練の再開容認を受けて「米軍機の飛行安全の確保は円滑な米軍駐留の大前提だ」と述べた。首相は自身の発言に反する防衛省の見解を否定し、空中給油訓練の再開容認を撤回させるべきである。
 防衛省の米軍優先姿勢はまだある。陸上自衛隊が導入するオスプレイの佐賀配備で、同省は「陸自オスプレイの配備は安全の確保が大前提」とし、佐賀での空中給油訓練は実施しないとしている。
 米軍と陸自の違いはあれ、国民の安全を守るのは政府の責務である。政府が大前提とする「安全の確保」を沖縄に適用せず、危険を押し付けることは許されない。県民の安全を第一に考えるべきだ。