<社説>本部町の朝鮮人遺骨 空白の解明は日本の責務


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 沖縄戦に動員された朝鮮人の遺骨が本部町に埋葬されていたことが判明した。本紙報道を受け、韓国の市民団体や県内の遺骨収集団体、地元本部町の関係者が埋葬現場を確認し、今後、収骨に向けて具体的に動きだす。

 沖縄戦中の朝鮮半島出身者の動向については不明な点が多く、歴史の空白となっている。それを埋める一つの動きであり、実現に期待したい。同時に、政府をはじめ日本側には空白を解明する調査、研究を進めていく責務がある。
 本部町健堅に埋葬された遺骨は、1945年1月22日に米軍が沖縄全域を狙った空襲による被害者だ。日本軍の戦闘記録によると、本部町沿岸で日本軍の輸送船「彦山丸」が米軍機4機から攻撃を受けた。救助に向かった船も合わせて、朝鮮人を含む軍属ら少なくとも14人が死亡した。
 45年5月発行の米雑誌「LIFE」に、瀬底島を背に墓標14本が立つ写真が掲載された。「本部町史」にも載っていない米軍撮影の写真で、関係者が数年前に入手し、朝鮮人名簿などと照合した結果、3人は朝鮮人と判明した。
 遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」と、韓国の市民団体「太平洋戦争被害者補償推進協議会」は、日韓友好事業として共同で遺骨調査をする方針だ。戦時中に北海道に連行された朝鮮人の遺骨を、1997年に日韓の若者が共同で掘り出した実績がある。沖縄でも実現し、両国の次世代が沖縄戦を追体験して学び、継承につなげてほしい。
 沖縄戦に動員された朝鮮人の人数については、今なお不明だ。糸満市摩文仁の韓国人慰霊塔は「一萬余名」と記すが、最新の「沖縄県史 沖縄戦」は「根拠ははっきりしない」と指摘する。
 朝鮮人軍夫は県内各地に動員され、日本軍の下で重労働を強いられた。その多くが「特設水上勤務中隊」(水勤隊)の101~104中隊に配属され、港での荷役や陣地構築、飛行場建設、砲弾運びなどに従事させられた。
 平和の礎に刻銘された朝鮮人は昨年まで447人にとどまっていた。朝鮮人被害者を長年調査している「沖縄恨(ハン)之碑の会」などの支援団体が申請して、今年7年ぶりに15人が追加刻銘され、462人に増えた。それでも実態とは大きく懸け離れた数字だ。
 朝鮮人軍夫は戦中は異郷で非業の死に追い込まれた上に、戦後は日本政府が調査をせず生死すら確認してこなかった。「捨てられた存在」だ。遺族が複雑な手続きで問い合わせて初めて、部隊名や任地が分かる程度で、回答書類には「復員または死亡記録なし」と冷たい文字が並ぶ。
 政府はいまだに戦争責任を果たしていない。日本軍「慰安婦」も含め、「皇国の民」として朝鮮半島から沖縄に連行された人たちの実態は、難しいかもしれないが、解明すべき課題だ。沖縄側も官民挙げて調査を進める必要がある。