<社説>沖縄戦国賠訴訟棄却 「住民を守らない」判決だ


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 加害に協力すれば国が面倒をみてあげるが、被害者だったら国に責任はない-。そんな理屈が通るのかと怒りを覚えると同時に、戦争の本質を示す判決だ。「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓を改めて想起させる。

 福岡高裁那覇支部は、沖縄戦で被害を受けた住民や遺族ら66人が国に謝罪と損害賠償を求めた沖縄戦被害国家賠償訴訟の控訴審判決で、住民の訴えを棄却した。
 多見谷寿郎裁判長は日本兵による傷害行為や原告が抱える外傷性精神障害など戦争被害を認定しながらも、戦時の憲法下で「国の公権力の行使に対する賠償責任は認められない」などとして訴えを退けた一審の那覇地裁判決を支持した。
 判決に通底するのは、国家が引き起こした戦争の被害については「国民間の犠牲の公平負担」をうたいつつ、軍人・軍属は被害回復を図る考え方だ。
 控訴審判決では、日本兵による住民への傷害行為に対する国の責任については「国家無答責の法理」で退け、原告2人が受けた被害の責任は「軍人らが個人で負うしかない」とした。いまさら加害軍人を特定することなどできないことを踏まえた上での指摘だ。
 さらに被害補償については、援護法によって日本軍の関与による被害にも補償がなされているとした。
 援護法は、基本的には軍人軍属が対象の被害補償だ。地上戦となった沖縄で住民たちは「壕を提供」「集団自決(強制集団死)」などの軍事行動に協力した者が「戦闘協力者」と認定され、遺族給付金などの援護法の対象となった。
 戦闘協力者にならなければ、「国民みんなが受けたのだから戦争被害は等しく受忍しなければならない」という「受忍論」を盾に対象外とされ、何の補償もない。戦後72年、続いた現実だ。
 こんな不条理があるだろうか。そしてこの不条理は決して過去の問題ではない。
 控訴審の第1回口頭弁論で原告側の瑞慶山茂弁護団長は「敗訴が確定すれば沖縄戦被害は救済されることなく、歴史の闇に消える。しかし司法が最も弱き人たちを救済しなかったという事実は、永遠に刻印される」と訴えた。
 このまま戦争を起こした国の責任も問われず、沖縄戦の被害が歴史の闇に消えたとき、再び「国のために個人の犠牲は等しく受忍しなければならない」という「受忍論」が登場し、司法も弱き人を救済しないという社会が現れるのではないか。
 2012年の提訴以降、亡くなった原告もいる。原告側は上告する方針という。判決後、原告が涙ながらに訴えた「血も涙もねーん(ない)」という言葉を消し去るよう、司法も政府も戦争への責任を認め、新たな補償の在り方を打ち立ててほしい。