今年は1719年に組踊が初めて上演されて300年の節目である。琉球・沖縄の伝統文化の粋である組踊が、時代に翻弄(ほんろう)されながらも現在に受け継がれた意義を確認し、継承のために情熱を傾けた先人たちの努力をたたえたい。
組踊は、沖縄の故事を題材にして、沖縄独自の言葉、音楽、舞踊、衣装によって演じられる。日本本土や中国の芸能の影響を受けながら沖縄の伝統文化を集約して磨き上げられた総合芸術である。
1879年の琉球併合(琉球処分)で、琉球王府に支えられてきた組踊は危機に陥った。組踊を担ってきた人たちは芝居小屋などで演じるようになる。そこから琉球舞踊の雑踊や沖縄芝居が生まれていった。地方にも伝わり、祭りで演じられるなど地域の伝統文化にもなっていった。組踊は多彩で豊かな沖縄芸能の母体となってきたのである。
こうして生まれた沖縄芸能に、いくつもの試練が襲いかかった。軍国化する中で規制が強化され、脚本は検閲され、うちなーぐちも禁止になる。最大の試練は、住民の4人に1人が命を失い、街も山野も焦土と化した沖縄戦だった。
沖縄戦から人々が立ち直ろうとする時に、人々を慰め、癒やし、元気づけたのも芸能だった。その象徴が、1945年のクリスマスに行われたとされる「クリスマス祝賀演芸大会」だ。
昨年12月27日、73年前と同じ会場で舞台を再現する「焦土に咲いた花 クリスマス演芸大会」が、うるま市石川の城前小学校で行われた。73年前と同じ組踊「花売の縁」などの演目が、各流派を代表する演奏家、舞踊家らによって演じられた。
流派を超えた出演者と観客が一体となって73年前の舞台が再現され、続けて沖縄芸能の核とも言える組踊が歴史の大きな節目を迎えたことは意義深い。
昨年5月、行政と民間が手を携えて「組踊上演300周年記念事業実行委員会」を発足させた。11月には首里城祭と連携した記念公演と式典の開催を検討している。国立劇場おきなわ運営財団は300年前の舞台の再現に取り組む予定だ。ほかにも公演や展示会が計画されている。
これらの記念事業を一過性のものにしてはならないことは言うまでもない。同実行委は記念事業の目的を次のようにうたっている。
「沖縄で暮らす人々が組踊に誇りを感じ、親しむことができる各種記念事業に取り組むとともに、組踊をはじめとする沖縄文化が、将来にわたって継承・発展できる環境づくりに資することを目的とする」
この目的に沿った取り組みを301年目以降も持続することが大切だ。伝統芸能の土台であるしまくとぅばの普及・継承も不可欠だ。今回の節目を、沖縄芸能のさらなる発展を目指し決意を新たにする機会にしたい。